それから夕方、ルゥが熱をぶり返した。医者が来たのはその一時間後。
 その後、少年も見てもらい、その廊下でアルベルトが医者に話を聞いて薬をもらって戻ってきた。

「これでは普通に飲めないでしょうから、食事に混ぜてあげてくださいとの事です」
「はい」
 看病のメイドに渡した。

その翌日――――

 そこに、
「これは侯爵様、お風邪をひいていると伺って」
 レルが馬車以外の供を連れずに来た。

 その視界に飛び込んできたのは、アルベルトがベッドで寝ているルゥに寄せ合っていた。
 ちょうど薬を飲ませていた所だった。

 それに何を勘違いしたのだろうか、急に機嫌が悪くなり、体勢を戻して振り返ったアルベルトの右肩をガっと掴んで
自分の方に向る。その拍子で持っていたコップをベッドに落とし、中の水が飛散する。
 その間に胸ぐらを掴み寄せ、口づけをしようとする。

 寄せられてくる唇。

 深く鼓動が一拍鳴る。


「――――!」

 それに思わず突き放した途端、頭に激痛が走り、すぐに限界を超え、フラッとゆっくりその場に倒れた。

 
そこにあるのはもはや恐怖でしかなかったのです。

 忘れてもなおその恐怖はしっかりと植えつけられ、身体が拒絶反応を起こす。ディスを迎えに来た際、前主人を飛ば
したのはそうした事だからだ。


 それにルゥは驚いて咳を抑えながらアルベルトを見る。声が咳のせいで出せない。熱はそんなにないものの、ずっと
寝ていた倦怠感が身体を支配し、吐くわけでもないのに気持ちが悪く頭が重い。

 それになぎ倒された奴は含み笑いし、
「これで戻るだろう」
 という。

「知っていますか侯爵様?記憶喪失者にはかつて味わった衝撃をうけると戻る場合もあるって事を」

「僕の医者に聞いたんですよ。それが一番効果的だって。そこで一体何が奴にとって衝撃だったのか考えた。そしてひ
とつ思い出したんですよ。
フォードに対する衝撃はあの時僕が迫った時の事。主である僕を突き飛ばしてしまった、自分はなんて事をしてしまっ
たんだという衝撃、申し訳なくて表情を合わせられないから飛び出した。だから記憶を失ってしまったんだろうって」
 手前勝手なセリフを優越感に浸りながら話す。

「彼は僕の元に返ってくる。侯爵様の事など」
 勝ち誇った表情で、
「忘れてね」
 確信を告げる。


「――――!」

「さぁ目を覚ませ。さあ、早く」
 馬乗りになって胸ぐらをつかむ。

 しばらくしてうっすらと目を開き、レルを見る。
 頭がズキズキと痛む。時折り強く眼を閉じる。

 成功した。そう喜んだ。だがその間にもアルベルトのぼやけた視線はレルのぬくもりとは違うぬくもりが乗った方、
ベッドへと視線を向ける。それに、
「――――!」
 目をしっかりと開け、
「ご主人様っ!」
 乗りかかったレルを空いてる手で反対側の肩を掴んでなぎ飛ばすと同時に起き上がり、
「っ・・・・」
 ベッドから這うように降りてきたルゥを抱く。
動いたせいで咳がさらに酷くなり、胸を痛めて掴んでいた。空いたその手でアルベルトの手に触れていたのだ。

「ご主人様」
 そう呼びかける。頭が痛いはずなのにそれを思わせない穏やかな表情。それにルゥは顔を向ける。

「・・・・い」

「い・・・・」

 声が出ない。もどかしい。

 咳の涙と合わさって止まらなくなる。

 嫌だ。連れていかないで。

 神様、お願いがあります。
 どうか彼の記憶の邂逅を今少しだけ延ばしてはもらえませんか?
 そのためならば、僕は自分の命を削っても構わない。

 どうか・・・・どうか・・・・・


 掴んでいた手を伸ばすと、その手をアルベルトは掴み、
「ここにいますよ」
 微笑みかける。

「ご迷惑をおかけし」

「なぜだ」
 レルは立ち上がり、
「なぜ記憶が戻らない・・・・・どうして戻らないんだっ!」
 手をギュッと握りしめ、
「お前だって思い出したいだろ!そうだろっ!なんとか言えっ!」
 背を向けたアルベルトに投げかける。それにアルベルトはいつものように笑みを浮かべて振り向き、

「私に思い出すつもりはありません」

「なにっ?!」

「たとえそれが良い記憶であろうと、そうでないものであろうと。
この私にないという事は、生きていく私にそれは――――」

 視線を戻し、ルゥの足の隙間に手を入れ、
「それほど必要なものではなかったという事なのでしょう」
 立ち上がり、その部屋を後にした。




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