「手段であろうと」
 その頃、レルもその事を思い出していた。

 屋敷に戻って来ていたレルは書斎のカウチに座って考えていた。
 蓄音機が音を奏でているが、どうやら耳には入っていないようだ。

 あの老紳士がいずれあの世に旅立つまで待てばいいなどという、親切でのんきな考えなど持ってはいない。

 欲しい物は欲しい。それの何がいけない。

 所詮買われてそこにいるだけの人間じゃないか。買われているからそれなりの事をするのは当然の事だ。
 自分がそれよりも高い値をつければ、もっとそうしてくれるのでは、尽くしてくれるのではないかと思った。

 直に言った所で、その場の気持ちで言う子供の戯言と一蹴される。


「兄はそう思った瞬間、そうしないと気が済まない所があります」


 ならばどんな手段でも使って手に入れようと思った。

 その手段は功をそうしてうまくいった。

 生活できるかできないかそれぐらいまで突き落とした。

 そして自分は交渉する。

 その男を一生生活が困らないほどの金額で買うから譲ってはくれないかと。

 老紳士は考える間もなくそこに判を押した。

「その主は判を簡単に押しました。あの方には家族がいて、自分だけならともかく、家族を路頭に迷わす事は出来なか
ったのです」

 そこにその主人の言葉はなかった。

 すまなかったの一言もなく
 すまなかったの一瞥もなく

 通り過ぎた主人を、瞬きすらできない、絶句した状態で立ちつくしていました。

「兄は勝手で、そういった思いは、自分と暮らしていくうちに忘れていくものだと思っていました。ピアノに触れない
事さえも、ここにきてまだ気が抜けないなどと言う始末――――
 そしてその頃から彼は変わらないように見えましたが、底では笑ってはいませんでした。
 それは誰が見ても明らかな事。初対面の時に渡された紅茶の味がしませんでした。
 そうでないものは味さえもそうなっていく。それにも関わらず、両親も兄もわかってはおりませんでした」

 そこで言葉を止め、時計の音がはっきりと聞こえるほどの静寂に包まれる。
 そして何秒か進んだのち、その刻む音にあわせてうつむき、
「それからどれだけの月日が経ったのでしょうか、悲劇は起きました」
 ギュッとドレスを掴む。

「悲劇?」

「はい。彼の主が首を吊って亡くなったんです。その後を追うように奥方様も・・・・・」

 どうしてだ。どうして、一生生活に困らない金をくれてやったと言うのに死んだりなんかするんだ。

「いくら家族のためとはいえ、大事な執事を売ってしまった事がお辛かったのでしょう。
 その自責の念に耐えかねて亡くなったのです」

「兄はその葬儀の日、彼を部屋に閉じ込めました。
 さすがにドアを開けてほしいと訴えるのかと思いましたが、訴える事はなかったそうです」

 
彼は兄からますます遠ざかっていく――――





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