朝――――

 案の定、医者の見立てどおり熱が出て本格な風邪を引いた。だが現在は薬を飲んで小康状態にある。

 そこにステファニーがやってきた。
「お加減はどうですか?」
 しずしずと部屋に入ってきた。

「大丈夫だよ。風邪と言ってもそんなにひどいものじゃないから」

「ごめんなさい侯爵様」
「いいんだよ、気にしないで。さぁ入ってここへお座り」
 ベッドの横に置かれた椅子に目をやる。

「所でどうし――――」
 口にした後、何かを察し、
「その話をしに来てくれたの?」
 聞いた。それにゆっくりと、
「はい」
 うなずく。
「いいんだよ無理にしなくても」

「いえ。ですが侯爵様はお聞きしたくないのでしたらやめます」

 それに少し間をおいて、
「・・・・聞かせてもらえる?」
 応えた。

 それはまだここに来て間もない時でした。父のお仕事が成功してこの世界の仲間入りが許され、今でこそありません
が、まだこの世界の事があまり分からずに戸惑っていた時期でした。
 そして更に商売を拡げようと考えていた父は、人脈を広げようと社交界から個人まで私たちを連れて連日のように赴
いておりました。
 その時の兄は自分を含め、家族の誰かが醜態をさらさないか表情にこそ出ていませんでしたが、内心はきっと冷や冷
やしていたのでしょう。

 そんなシーズンもそろそろ終わりに近づいてた時、ある屋敷に招かれました。

 その屋敷の主は老紳士で様々な商売をなさっていました。

 そこで出迎えたのは、彼でした。

 さまざまな屋敷で使用人を見てきましたが、あれほど気持ちが落ち着く使用人は初めてでした。
 いつもは新参で成り上がりの私たちを軽蔑した目で見ている風がありました。
 それは主である執事がそういった態度であるという証。上がその態度なら使用人も自然とそうなります。
 

 なのに彼にはそんな風はなくて、とても落ち着いて過ごす事が出来ました。
 彼の心からの優しさがそうしていたのでしょう。


 それから度々、私は兄に連れられてその屋敷を訪れました。

 兄は彼の事がよほど気に入ったみたいで、商売の勉強をという建前の元、彼に会いに来てました。

 そんな涼風が吹く昼下がりの事、ピアノの音が風に乗せられて鳥のさえずりのように聞こえてきました。

 その音に誘われるようにその流れを追ってその近くに来た時、兄が先に来ていました。

「お兄様?」
 そう声をかけて兄の後ろにいた時、ピアノは彼が弾いていました。

 まるで真綿の柔らかいものにそっと触れるような感触を感じさせるかのような指づかいで引いている。
 まばゆい光、そよぐ風、その風を受けてそよぐレースのカーテン。

 来ていた私たちに気がついて、やさしく笑った彼。

 兄はそのとき思ったんでしょう。


「欲しい・・・・、どのような――――」





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