(ん?ここは?)

 薄暗い部屋、身体は拘束されていないのに動かない。その代わりに鉛のように重くて天井を見ていないと、少しでも
動けばむせそうな気持の悪さが胸のあたりを蹂躙している。

 だがディスはその悪さのせいだけで上を向いているようではなかった。

(前にもあったな、こんなこと)

 眺める目は冷静。

(数えきれないぐらいにな)

 忘れもしない、あの時の事は。

 かつてこの屋敷で専属の執事として働いていた時に受けたあの時の事は。

 動けない薬を飲まされ、こうやってベッドに置かれる事は何度もあった。

 それが限界に達して逃げ出した。そしてもう二度と執事なんてやらないと決意した。

 貴方に会うまでは――――
















「おい。これも持って行ってくれ」
「はーい」

 逃げ出した俺は近くの雑貨屋の裏手の仕事に就いた。

 ここでなら自分を知られる必要性はない。また知る必要もない。ようは言われた事をすればいいだけの事。

誰も誰かに踏み込もうともしない、まして踏む事もない。

 他人の事など構いやしないこの場所は、俺にはうってつけだった。あの時までは――――


 ある日――――

いつものように店の前で仕事してるとズボンを掴まれたので下を見る。
 良家の子息なのだろう。身なりがいい。だがおつきがいない。

 ディスはひざまずき、
「どうした?」
 聞いた。

「道に迷ったの」
「おつきはどうした?」
「はぐれちゃった」
「はぐれたのか。まぁ今日は人が多いからな。で、名前はなんて言うんだ?」
「リィ」
「ファーストネームは?」
「わからない」
 それに呆れて、
「わからないって、おい。それじゃどうしようもねぇだろ」
「だってわかんないんだもん」
「開き直るな」
 立ち上がり、
「っ、たく。それじゃ探しようがねぇだろ」
 頭をガシガシしながら、
(俺にここで叫べってかぁ?冗談じゃねぇ)
 賑わう人波を見る。

それに再びズボンを引っ張られ、
「ねぇ」
「ん?」
「おにぃさんち泊めて」
 などと言われる。それは名前以前に、
「はぁ?何言ってんだ」
 驚き呆れる。それに再びひざまずいて、
「あのな坊ちゃんなぁ、庶民の部屋は坊ちゃんの家とは違って臭いから」
 言い聞かせるように言ったが、
「別にいい」
 返され、
「だから・・・・・あ、それより名前はどうした」
「だって思い出せないんだもん」
「いいから思い出せよ。それに俺仕事なんだ、そんなに長く相手にしてられねぇんだよ」
 
 いい加減振り払いたい。関わりあいたくないんだよ。




Copyright.(c)2008-2009. yuki sakaki All rights reserved.