夕方・商店街――――

「失礼します」
 戸を閉め、かばんに書類を収める。

「これで終わりだな」

「はい」

「じゃあ飲みに行くか」

「いやです。一人で行ってください」

「そう言うなよ」

 言った矢先、

 バシャっ!

「あ」

 多田は水を思いっきりひっかけられた。かけた相手はすし屋の若者。

「す、すいませんっ」

「すいませんじゃないだろっ!ちゃんと見てしろよ」

 そのお怒りをよそに、隣の佐々倉に目を向ける若者。

「みのる」

「・・・・」

「佐々木みのる・・・・だよな」

 顔を寄せてくるが、佐々倉は毅然と、
「人違いです」
 冷たく返した。

「え、でも」
 そう言っている時、背後の入り口がガラっと開き、
「おいこらっ!いつまでやってんだっ!」
 荒々しいだみ声が背後から浴びせられる。

「あ、大将」
「いつき!おま、また人に水をかけたのかっ!これで何度目だっ!」
 その若者をしかりつけた。その多田は自分以上のド迫力にまぁまぁとなだめ、
「ま、まぁ大将、わざとじゃないし」
 その大将の憤りを抑える側に回った。

「すいませんねぇ、中に入ってください。乾かしますから」

「は、はい」

 そう言われて多田は濡れた背広の上着をその若者に渡し、佐々倉と一緒にカウンターに座る。 

「いやぁ申し訳ない。うちの若いのが」
 カウンター越しにお茶とお絞りを渡す。

「いや。でもまたって、よくやられるんですか?」

「えぇ。たまにボーっとしてやるんですよ。困ったものでしてね。あれでも立派なピアニストだったんですよ」
 苦笑する。

「へぇ」

「私はそういったものはからきしでわかりませんが、凄いい腕なんだそうですよ。新聞や雑誌に載ったぐらい・・・・
まぁ5年も前の話ですけどね」

「そうですか。でもそのピアニストがどうしてここに」

「アルコール依存症なんですよ。切れると手先が震えるんです。ちゃんと病院に行けって言ってるのに
行きもしやがらねぇし、見えない所でコソコソと酒飲んでたり。もうやる気がないんでしょう」

「あの若いのにアルコール依存症ですか」

「えぇ、そのピアニストの手先が震えるって事は致命傷とでも言うんですかね。板前が包丁を持てなくなるのと同じ道義だよ」

「親御さんはどうしたんですか?」

「私はその親父さんの親せき筋で預かってくれって頼まれてね。親父さんはよく連絡してくれ
るんだが、お袋さんは全くだよ。ピアノの弾けない子供は子供じゃないってよ。ピアノの英才教育を受けさせたのに
その途中で、しかもアルコール依存症に陥るなんて恥ずかしくて一緒にもいたくなければ会いもしたくないんだと。
期待の反動が凄かったんじゃないですか」



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