手配された家へと向かう。そこで管理人さんに出会い、うつむき加減に、
「こんにちは」
 棒読みのあいさつをする。それに管理人はにこやかな表情を変えずに、
「嫌そうな表情をしているね」
「すいません」
「いいんだよ、それが当たり前なんだ」
 応えた。

 それに、
「え」
 思わず声と共に顔を上げる。

「ここに来る人たちはね、すごく嬉しそうにしてくるんだよ。ここに来てよかっただのとか、ありきたりな日常に
飽き飽きしていたとか」
 言葉を止め、

「縁起でもない事を言うんだよ」

 一瞬だけ真顔になる。それにビクッとするとすぐ笑顔に戻った。

「普通はね、そう言った表情で来るものなんだよ。それはね、それだけ生きていた時が良かったって言う証拠に他なら
ない。ありきたりな日常がどれほどかけがえのないものだったのか。それを君は知っている。だからそう言った表情で
来れる。君はよほど人に恵まれた場所にいたんだね」

 おはよう
 こんにちは
 こんばんは

 いただきます
 ごちそうさま

 行ってきます
 行ってらっしゃい

 ただいま
 お帰りなさい

 ばいばい
 またね
 じゃあ、また明日――――

明日・・・・・その明日という日が、いつものようにやって来ると当然のように思っていた――――

 そう・・・・その日までは。

「明日、父と出かける約束をしてたんです。すぐに帰るからってそう言って・・・・」
 管理人に経緯を簡略して話し、
「こうなる事を知っていたら、自分は助けたりは」
 そう言いかけた佐々倉に管理人は軽く首を振り、
「いいや、君は例えそれでも助けたと思うよ。優しい君だ、それは出来なかったと思うよ」
 肩に手を置く。

「今はそれが許せないかもしれない。でも私はねこう思ってるんだよ、私たちの時は止まっている。けど生きている
人たちは動き続けている。いつか、それに気づいて報いてくれるのではないかとね。時間はいくらかかっても構わない。
だって私たちは、それを待てるだけの時間を持っているのだから」


「・・・・バイオリンどうしたんだよ」

「ありますよ、家に」
 葬儀の際、御棺に物を入れたりする。それが引っ越し先の部屋に置かれている。

「もう弾かないのか」

「弾いても・・・・もう」




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